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2008年3月11日 (火)

雪渡り

「堅雪かんこ、しみ雪しんこ、キック、キック、トントントン」

岩手に住んでいる人なら、宮沢賢治の童話「雪渡り」を読んだことがあると思う。

「雪渡り」のあらすじは、四郎とかん子が、雪の野原を歩いていると森の近くで子狐に出会う。小狐に誘われて狐小学校の幻灯会に誘われる。四郎とかん子は三人の兄さん達の分も入場券をもらおうとするが、11歳以下の子ども達しか参加出来ない。雪の凍った月夜の晩、四郎とかん子はキツネの幻灯会を見にゆく。

簡単に言うと、このようなオハナシなのであるが、肝心なところは、「四郎とかん子はいつもは歩けない畑でもすすきの野原の上でも、すきな方へどこまででも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。」と宮沢賢治が表現しているところだ。

冬の雪も春の雪に変わる頃には、日中は日差しで表面の雪が溶けるが、夜にはまた寒さでガリッと凍る。そうすると、朝、雪の野原が本当に歩いて渡れてしまうのだ。しかし、これは、体重の軽い子どもに限った事で、せいぜい小学校高学年になると体重の重みでズボッと雪に足がはまってしまう。だから、四郎とかん子しか幻灯会には誘われないというのも納得できちゃう。

てんこちゃんは大人になってしまったので、もう雪の田んぼも斜めに渡りきれないが、子どもの頃、空き地が雪で凍って乗っても割れなくて、どんどん歩いて遊んだことを思い出す。

なので、賢治が童話の序文で「わたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。」と書いている。

おはなしを岩手の自然からのもらいもの、と表現する箇所は「雪渡り」を思い出して、てんこちゃんも、ほんたうの事だと実感する。

「雪渡り」を読んだのは、子どもの頃だ。その頃は、このことに、全く気付かなかった。しかし、大人になり、自分が雪渡り出来ないことに気付いて、改めて、賢治が言いたかったのはこのことだったんだ、と勝手ながら思い、納得した。

てんこちゃんは、このところ不調続きで、このハナシをなかなか書けないでいた。

そのうち、春の日差しになって、どんどん堅雪もとけてしまって、ちょっと時期がずれちゃったけど、岩手に住んでいる人なら、賢治のような体験を身を持って体感していると思うのだ。

だから、岩手県以外で宮沢賢治の大ファンという人がいたら、ぜひ、岩手に来て、自然に肌でふれあい、空気を感じただけで、賢治の童話の世界を体感できるから!!、とてんこちゃんは思っていますのだ。

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